2017/08

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 弘前に来て8回目の秋。

 七年間と半年、人生の4分の1以上をここ弘前で暮らしていることになる。
 
 家を出たときは、まだまだ若いと思っていた両親も、「年、取ったなぁ」と感じてしまうくらいの時間が経った。最近はそんな両親のことばかり考えてしまう。

 私の実家は、父が自営業を行っていて、母がそれを手伝っている。父は大学を出て、就職し、母と結婚し、姉と私が生まれて、その後再び大学に行きなおし勉強して、いわゆる国家資格を得て、36歳のときに、私の実家のある茨城で商売を始めた。

自分でいうのもなんだが、小学生くらいの頃から、経済的に苦しい重いをすることなく、豊かな生活ができた。きつい状況を乗り越えて、家族を養ってくれている。

私自身も、高校の途中までは、家業を継ごうと考えていたし、それが一番良いことだと信じて疑わなかったのだが、高校三年生の頃だろうか?猛烈にそのまま家業を継ぐということに抵抗を感じ始めた。(いわゆる敷かれたレールを的なやつだと、今は思う)

結局私は浪人して、家業とは全くない進路に進むことにした。それが弘前大学だった。

最初は激怒していた父だったが、大学にも行かせてくれて、「家業を継げ」といったこともその後一度も口にしないでいてくれている。

28歳。地元の友達では、結婚し、家業を継ぐために家に戻った奴も何人かいるし、長男である私は、世間一般的にはなおさら、そうしなければいけないはず。と最近感じるようになった。
「世間一般なんて言葉はFUCKだろ!」とつい最近までは思っていたが、そういうものを完全に無視するには、少々覚悟が足りないのである。

唯一そういった後ろめたさから逃れる方法は、「あのときの選択が良かったと思う日がきっと来る!」と思うことなんだろうが、実際、何度も「弘前にいて本当に良かった」と思う瞬間はたくさんあるし、それ自体は心底そう思うが、やはりそれは、根本的な解決には程遠い気がする。

現在住んでいる場所と家族が住んでる場所が遠いというのは、すごく大変なことだと思う。年に1回、多くて2回しか両親に会わない私は、両親が今後20年生きれたとしても、少ないと20回、多くても40回しか会うことができない。元気なうちとすると、さらに少なくなる。

思い出とは残酷なほど次を求める。それが原動力でもあり、足かせにもなる。

少し最近は考えてなかったことのツケが回ってきた。人並に色々考えねば。







 



 

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